こんにちは、じゅやです。
46歳。関東在住。会社勤めの、見た目は普通のおっさんです。
趣味はお酒と映画と、最近は走ること。尾崎豊が好きで、ケツメイシが好きで、先日ケツメイシのライブに家族3人で行って、妻も娘もタオル振り回してました。
平凡でした。子供の頃からずっと。
でも気づいたら、全然平凡じゃない人生を歩んでいました。
このブログはそんな話です。
「主人公」に憧れていた、あの頃。
5人家族。みんな健康。母は専業主婦。金持ちでも、貧乏でもない、どこにでもある中流の家庭。ドラマティックなことなど、何もなかった。
子供ながらに、それが少し物足りなかった。友達には片親で少しグレている奴もいた。なんかそっちの方が「主人公っぽい」と思っていたりした。失礼な話だけど😅
でも今になって思う。
父は大きな会社に勤め、単身赴任や出向を重ねながら、黙って家族を養い続けた。母も、5人家族を支えてくれた。子供のじゅやには見えていなかっただけで、全然「普通」じゃなかった。
そう気づいたのは、ずいぶん後になってからのことだ。
家を買ったら、学長に出会った
30代半ばで転職した。そこからいろいろな地を渡り歩いた。
もともと俺は、家を購入する気なんてまったくなかった。
でも、娘に転校を繰り返させたくなかった。だから小学校に上がる前に、家の購入を決めた。2020年のことだ。
家を購入しても、転勤が終わるわけじゃない。この先も、たぶん続いていく。
家の購入にあたり、初めて「お金のことをちゃんと考えよう」と思った。そのとき偶然、YouTubeでリベ大の両学長の動画に出会った。
家計管理を見直し、積み立てNISAを始め、簿記3級・FP3級を取得した。「自分の人生を、自分で経営する」という感覚が芽生えてきた頃だった。
変わり始めていた。確かに、変わり始めていた。
でもその同じ頃、仕事の方で俺はどん底に向かっていた。
意外な異動先
2021年4月、辞令が来た。
関東地区の企画部門。出世コースの花形部署。
上司に勧められたのと、プライベートも充実していたこともあって、その気になってしまった。
正直なんでだろうとは思った。それまでそんなに目立たなかった俺が、今までとは違う企画・調整業務をやることになった。
実際仕事してみたら、やはり全然違う世界だった。
それまでの俺はプライドも高く、生意気だったと思う。
しかし同僚はどちらも本部経験もあるエリート。俺だけが「お作法」を知らなかった。
努力すればなんとかなると頑張ってみたが、ダメだった。
6月には、もう限界だった。
夜眠れない。朝、布団から出られない。それでも何とか出勤する。休日は布団の中にいる。仕事のことを考えると、胸が締め付けられる。
「もうダメだ」「どうすればよいのか」
そう思いながら、毎日出勤していた。
うつ、と診断された日。
病院で、うつと診断された。
その日、俺は母に付き添ってもらって病院に行っていた。
よりによって、その日だった。
先に言っておくと、ここから休むまで8ヶ月かかった。休めなかった。その話は、次に書く。
この2ヶ月後に自宅から近めの職場へ移り、休みに入ったのは、その次の春だ。そこから5ヶ月間、仕事を休んだ。
それから、5ヶ月間。
しばらくはほとんど寝ていた。起き上がれなかった。食べられなかった。
住宅ローンがある。家族がいる。「辞めたら終わりだ」という恐怖と、「でももう限界だ」という消耗が、頭の中でずっとぶつかり合っていた。
良くないことが頭をよぎったことも、あった。
「パパはお仕事頑張りすぎてちょっと疲れちゃったんだよね」
娘が当時どこまで理解していたかはわからない。でも、異変には気づいていたはずだ。
あれから4年。娘は当時のことを、何も言わない。
覚えているのかな、と、ふと思う。
でも、俺は一人じゃなかった。
夜の一番深い闇の中、そばにいてくれた人たちがいた。
突然「飲みに行かない?」と連絡をくれた職場の先輩。いつも変わらず、明るく接してくれた上司。藤まつりに誘い出してくれた父。
そして妻。
「大丈夫。今は休んで。必ず良くなるから」
「仕事辞めてもいいよ。私も働くから」
強い人だと思った。自分も不安なはずなのに、一切それを見せなかった。
娘は、何もわかっていなかったと思う。でも、存在だけで十分だった。今でも、出勤前に寝ている娘の頭にキスをしている。たまに気づかれて「やめてよ〜」って嫌がられるけど😂
そして、今。
父は前立腺がんで、ホルモン治療を続けながら放射線治療を目指している。通院に付き添っている。
母は初期のアルツハイマー型認知症。まだ家族の顔はわかる。でも、さっきの会話をもう忘れている。
妹は二人いる。そのうち一人は実家で両親のそばにいてくれている。それだけで、ありがたい。
あの頃、俺を藤まつりに誘い出してくれた父を、今度は俺が病院に連れて行っている。
苦しい時に支えてくれた人だから。
人生の優先順位で一番大切な人だから。
自分にできることは何でもする、と自然に思えた。
これがまた、ひとつ価値観が変わった瞬間だった。
ブログを始める理由
今苦しんでいる誰かに、届けたい。
うつで眠れない夜を過ごしている人。介護と仕事で消耗している人。布団から出られない朝を繰り返している人。
「明けない夜はない」なんて、きれいごとに聞こえるかもしれない。
でも俺は、長い間夜の闇の中にいた。それでも今は、走れている。
その話を、書いていこうと思う。
あの時、俺を外に連れ出してくれた人がいた。心配してくれた人がいた。その経験が、人生を大きく変えた。
そして思った。出来ることなら、自分もそうありたいと。
そして、これからは自分から先に。学長の言葉でいう「他者貢献」ってやつだ。
学長の話もする。介護の話もする。音楽作成、マラソン、自分磨きなど機嫌良く生きるための話をする。
でも根っこは全部、ここにある。
ひとつ、白状しておきたいことがある。
「平凡ブログ」という名前を思いついたのは、うつになる前だった。
家を購入した2020年、俺は一枚の紙に、これまでの年表とやりたいことを書き出していた。学長の動画を見はじめた頃で、副業にも興味が出てきて、ブログのネタを探していたのだ。
その紙に、もう『平凡ブログ』と書いてある。
あの頃の俺は、自分の人生を平凡だと思っていた。書くことなんて特にない、と思っていた。
その1年後、俺は立ち上がれなくなった。
「平凡ブログ」と名付けたけれど、今は自分を平凡だとは思っていない。子供の頃は確かに平凡だった。でも、学長と出会って、うつを経験して、親の病気に向き合って——気づいたら、全然平凡じゃない人生を歩んでいた。
だから「平凡ブログ」。これは、平凡だった自分が、そうじゃなくなっていく話だ。
返していく時間が来た」
なんてな🤣