2020年、俺は「平凡ブログ」というタイトルを思いついていた。
書かなかった。翌年うつになって、それどころじゃなくなった。
いま、6年遅れでこれを書いている。あの頃の俺とは、たぶん別人だ。
家族のために調べていたら、会員になっていた
2025年の8月。母の認知症と、妹のことで、使える制度がないかを探していた。
介護、障害年金、医療費。調べても調べても、素人には何が正しいのか分からない。
その流れで、リベシティというオンラインコミュニティに入会した。ほとんど衝動だった。
自分のためじゃない。家族のために調べていて、気づいたら会員になっていた。
そして、たまたま同じ月に、幕張でイベントがあった。3日間のうち2日、行った。
握手をした
会場で、俺は握手をしてもらった。
両学長だ。住宅ローンを組んだ2020年にYouTubeで出会って、家計を見直して、簿記とFPを取った。そのあとうつになって、離れた。
離れていた期間のほうが、長かった。
戻ってこられたのは、通勤電車のなかだ。前の職場にいた頃は、電車でほぼ寝ていた。それが異動して、人に恵まれて、少しずつ回復してきた頃——寝ないで、YouTubeを観るようになった。
そこから毎日2時間。2年以上、聴いている。
俺の価値観の8割以上は、あの人でできている。
言っておくと、宗教じゃない。
本人が「盲信はよくない。俺の言うことも全部鵜呑みにしちゃダメだよ」と言っている。そう言う人だから、聴いていられるんだと思う。
握手はしたけど、話したことは一度もない。それでもあの日から、だんだん前を向けるようになった。
「信頼口座」という考え方
教わったことの中で、一番効いたのはこれだ。
金は貯まっても、信頼が空っぽなら、たぶん詰む。逆もそうだ。
じゃあ何をすればいいのか。答えは地味だった。手間暇をかけること。それだけだ。
俺の職場には、パート職員の方が11人いる。
それまで俺は、その人たちを「パートさん」と呼んでいた。会社の正式な呼び方は別にあるけど、どれもしっくりこない。
あるとき考えた。まとめて呼ぶから、まとめて扱っていることになるんじゃないか。
それ以来、名前で呼ぶことにした。複数のときだけ「皆さん」。
あとは、暇な時間に話しかけた。仕事の話じゃなくていい。出身地の話とか、好きなアーティストの話とか。相手が北の生まれだと聞けば、その土地のことを少し勉強してから話しかけた。
はたから見たら、無駄話をしているだけに見えたと思う。
そして、清潔感の話につながる
信頼関係ができてくると、変な欲が出てくる。
この人たちに、よく思われたい。
不純だろうか。俺は不純だと思う。でも、そこからだった。
「清潔感って大事だな」と思って、散歩を始めて、シミを取って、髪の治療を始めた。全部2025年の11月だ。しかも同じ日に、朝から3つ予約している。
その話は別に書いた。
順番でいうと、こうだ。信頼関係が先。見た目は後。見た目から入ったわけじゃなかった。
贈り物という方法
金の使い方も、少し変わった。
苦しかった時期に助けてくれた人たちに、何か返したい。でも面と向かって「あのときはありがとう」と言うのは、どうにも照れくさい。
それで、ボールペンを配ることにした。1,000円くらいの、書きやすいやつ。名前も入れられる。名字だけ入れて渡す。
年末には、11人にチョコを買った。1人1,000円で、日持ちするやつ。渡すのが年明けになる人もいるから。
ただ、正直に書いておく。あれは純粋な感謝だけじゃなかった。
その年の12月、妻の祖母が亡くなって、俺は仕事を午後から抜けさせてもらっていた。迷惑をかけた、という負い目があった。
感謝と、埋め合わせ。両方だ。それでも渡してよかったと思っている。
笑い話が、ひとつできた
あるとき、お客さんが職場を見渡して言った。
ここは、熟女の館だね
一瞬、空気が止まった。
正直に言うと、俺は一瞬考えた。これ、まずいやつじゃないか。
でも、当の皆さんが大爆笑していた。それ以来、内輪ネタになっている。「いらっしゃいませ、熟女の館へようこそ」と言い合っている。
あとで俺は、ふざけてその架空のお店のホームページまで作った。もちろん誰にも見せていない。
笑い話にできたのは、たぶん、その前に信頼が貯まっていたからだと思う。同じ言葉でも、残高がゼロなら事故になる。
それでも、うまくいかない日はある
ここまで読むと、順調に変わっていったように見えるかもしれない。そんなわけがない。
ある年の秋、職場の方との距離感を、俺は完全に間違えた。善意でやったことが、特別扱いに見えてしまったらしい。しばらく気まずかった。
今は元通りだ。でもあのときは、こう思っていた。
この状況では、それもできない。
家族相手でも同じだ。
今年の5月、家族旅行の前日に、俺は妻とも娘ともうまくいかなかった。前乗りして観光したい俺と、学校を優先したい妻。娘とは口喧嘩になった。
あとから分かったことがある。妻には妻の理由があった。娘がやっと普通に学校へ行けるようになったところで、休ませたくなかったのだ。
俺はそれを「価値観のズレ」だと思っていた。違った。ズレていたんじゃなくて、大事にしたいものが少し違うだけだった。
その夜、俺が書いたのはこれだ。
最近、ご機嫌で過ごすことを忘れてたよ
われ未熟なり
「機嫌よくいるのは技術だ」なんて偉そうに言っておいて、これだ。
でも、たぶんそれでいい。技術だから、忘れる。忘れたら、また思い出せばいい。
父と、証券会社に行った
父は、勤めていた会社の株を持っていた。1万株。
母は売りたがっていた。父は昔の高値が忘れられなくて、「500円くらいになったらな」と言っていた。
そして父は、証券会社にほとんど行ったことがなかった。
当時、俺はこう思っていた。「母の意見は聞かないだろうな。俺の意見なら、少しは聞いてくれるかな」
結果から言うと、聞いてくれた。一緒に、証券会社に行った。
売れた値段は、父が言っていた金額より、少し上だった。
その少し前には、父の実家の墓じまいもした。坊さんを呼んで、魂を抜いてもらって、そのあと親戚で鉄板焼きを食べた。
そこで、気づいたことがある。
ちょっとは俺も成長したのかもしれない。
幹事なのに、花束を渡さなかった
2026年の3月、送別会の幹事をやった。
職員のほとんどが異動する年だった。パート職員の方の中には、定年退職される方もいた。参加は18人になった。
正直に言うと、もう何年も幹事なんてやっていなかった。休んでいた時期があって、その後もそんな役はやらずに来た。だから予習した。
考えたのは、これだけだ。
つまり、今日はみんなが主役だ。
乾杯は、育休中の後輩に頼んだ。わざわざ呼び戻した。
締めは、残る側の課長に頼んだ。
幹事の補佐は、パート職員の方2人にお願いした。あの人たちにも、やりたいことがあるはずだと思ったからだ。
そして、定年退職される方への花束。
俺は渡さなかった。
長年一緒に働いてきた、同じパート職員の方にお願いした。
でもパート職員の方たちは地元の人で、ずっとここにいる。
長年一緒に戦ってきた人から渡すほうが、気持ちが伝わる。
いまも、連絡が来る
この夏、住んでいる地域に大雨特別警報が出た。うちも実家も妻の実家も、幸い無事だった。
その翌日、3人から「大丈夫ですか」と連絡が来た。
3人とも、もう同じ職場にいない人たちだ。昔いた職場で一緒だった人、転勤先で世話になった人、前の職場で1年だけ一緒だった人。
そのうちの1人は、俺が異動したあとも、ときどき連絡をくれていた。だから俺が壊れかけたとき、早めに気づいてくれた。
5年前、俺は「心の友」と呼べる人が一人もいないと思っていた。
いまも、たぶんそれは変わっていない。でも分かったことがある。
そう気づいてから、自分もそうありたいと思うようになった。
ある朝、自分で書いた言葉
今年の5月10日の朝、走りに行く前に、俺はこんなことを書いている。
まさに価値観変わったよ。いい風に。
人なんて、いつからだって変われる。
ワタシがそうだったのだから。
なんてな。
この記事のタイトルは、ここから取った。
大事なことを言ったあと、俺はいつも「なんてな」を付けてしまう。照れくさいからだ。今回はそのまま残しておく。
2020年に「平凡ブログ」と思いついて、2021年に壊れて、2026年にこれを書いている。
6年かかった。でも、間に合った。
特別なことは何もしていない。名前を呼んで、話しかけて、ペンを配っただけだ。