7月で、休職期間は終わった。
ここから先の話を、俺はほとんど誰にもしていない。休んでいた5ヶ月より、戻ってからのほうがずっと長かったのに。
2年半かかった。その助走の話をする。
いきなりフルタイムには戻れない
知らない人が多いと思うので、先に書いておく。
休職から復帰するとき、いきなり元通りには働かない。まず「復帰プログラム」というものがある。
内容:職場には行く。短い時間から、少しずつ延ばす
給料:この1ヶ月は無給
実際に戻れたのは:9月
会社によって、あるところと無いところがあるらしい。うちはあった。あってよかったと思っている。
いきなり8時間働けと言われていたら、たぶんまた潰れていた。
ドアを開けて、おはようございます
初日のことは、よく覚えている。
5ヶ月ぶりに会社へ行く日だ。気が重かった。そして、恥ずかしかった。
足が重い、というのは比喩じゃない。本当に前に出ないのだ。
それでも着いて、ドアを開けて、言った。
そうしたら、みんな休み前と変わらず接してくれた。
気を使ってくれていたとは思う。でも、そんなのはどうでもよかった。
それだけだった。
5ヶ月間、いちばん怖かったのは病気そのものじゃない。戻ったときに、どんな顔をされるかだった。
それが、ドアを開けて一言で終わった。
自分が抜けても、職場は回っていた
これも書いておく。休むときに、いちばん重かったやつだ。
俺が抜けたら現場が回らない、と思っていた。
実際はこうだった。
途中で1人減って 6人
俺が休んだとき 5人
異動と応援が入って 6人
俺が戻ったとき 7人
5人で、回っていた。
薄情に聞こえるかもしれないが、俺はこの数字に救われている。
「自分がいないと回らない」というのは、たいてい思い込みだ。そして、その思い込みが人を休ませない。
産業医との面談
復帰すると、産業医との面談がある。俺は月に1回くらい、通算で5〜6回やった。
これも、知らない人は多いと思う。復帰したら終わりではなかった。しばらくは定期的に、産業医と話す時間がある。
正直に言うと、最初は面倒だった。
でも、いま振り返るとあれは「勝手に無理をしないための、外からのブレーキ」だったんだと思う。
調子が戻ってくると、俺は決まって飛ばしすぎた。自分では気づかない。
「おもり」をしてくれた人がいた
戻った職場に、偶然、昔の同僚が2人いた。何年も前に別の事業所で一緒だった人たちだ。
ひとりは上司。仕事のやり方は独特だったけど、とにかく優しかった。何かと声をかけてくれた。それだけで救われた。
もうひとりは、年下の先輩だ。
正直に書くと、俺はこの人に嫌われていると思っていた。
違った。いちばん助けてくれたのは、この人だった。
あとから知ったのだが、上司から「じゅやのおもりを頼む」と言われていたらしい。
普通なら、そういうのは嫌なものだと思う。でも俺は、まったく嫌じゃなかった。
この人は、復帰プログラムの時から俺の状態を見ていて、仕事を少しずつ、様子を見ながら振ってくれた。多すぎず、少なすぎず。
ダメダメで何もできなかった俺を、無償の優しさで助けてくれた。
診断された年にも、同じことが起きていた。
二度あるなら、それはもう偶然じゃない。
この恩は忘れられない。いまでは、俺の目標にしている人のひとりだ。
助けられなかった人がいる
ひとつ、書いておかなければいけないことがある。
俺が戻る少し前、同じ職場にメンタルを崩した人がもうひとり来ていた。
結構つらそうで、休みがちだった。少し話したこともある。
でも、俺は何もできなかった。
自分がまだ立て直せていなかったからだ。相手の話を聞いても、返す言葉が出てこなかった。
その人は、しばらくして辞めた。
いま俺は「受けた恩を返したい」なんてことをブログに書いている。その気持ちの、いちばん静かな部分がここにある。
返したいのは、たぶん、あのとき返せなかったからだ。
戻っても、上がらなかった
ここまで書くと、順調に回復したように見えるかもしれない。
そうではなかった。
2024年の4月、俺は次の勤務地へ異動した。復帰から1年半以上が経っている。
そして、そこからさらに1年、上がらなかった。
働けてはいた。ミスも大きくはしていない。ただ、気持ちが上がってこない。
何かが楽しいわけでもない。何かがつらいわけでもない。ずっと、平らだった。
復帰=回復。
——そう思っていた。全然違った。
いちばん誤解されやすいのは、たぶんここだ。
戻った俺は、治った人だと思われていた気がする。本人も、そう思おうとする。
でも実際は、そこからが長い。俺の場合、戻ってから普通になるまでに2年半かかった。
電車で、寝なくなった
じゃあ、いつ「戻った」と思ったのか。
これが、自分でもよく分からない。ある日を境に、ではなかった。
ひとつだけ、はっきり覚えている変化がある。
通勤電車で、寝なくなった。
前の職場にいた頃は、電車でほぼ寝ていた。疲れていたのか、現実逃避だったのか、とにかく起きていられなかった。
それが、異動して人に恵まれて、少しずつ回復してきた頃——寝ないで、YouTubeを観たり音楽を聴いたりするようになった。
いつからかは、覚えていない。気づいたら、起きていた。
気づいたら、前より少しマシになっている。それだけだ。
そして電車で観るようになったYouTubeが、このあとの話につながっていく。
2020年に出会って、うつになって離れた人の動画だ。その人と、電車の中で再会した。
助走は、無駄じゃない
この記事は、たぶん地味だ。
劇的な回復も、感動的な瞬間も出てこない。ドアを開けて、挨拶をして、少しずつ仕事を振ってもらって、産業医と話して、2年半かけて、なんとなく戻った。それだけだ。
でも、もし今どこかで復帰しようとしている人がいたら、これだけは言っておきたい。
・産業医の面談を面倒くさがらない(あれはブレーキだ)
・戻ってすぐ「治った」と思わない
・自分がいなくても、職場は回る
助走が長いのは、悪いことじゃない。
助走をつけないと、跳べないだけだ。
ドアを開けて挨拶をしたところから、全部つながっている。