前回の記事で、俺がうつ病になるまでの話を書いた。

今回はその続き。「診断された日」から「休むと決めた夜」までの、約8ヶ月の話だ。

先に言っておくと、俺は診断されてから8ヶ月も、休まなかった。休めなかった。

今思えば、そこが一番の間違いだった。

「うつです」と言われた日

眠れない日が続いた。

でも、正直に言っておきたい。俺の場合は「気づいたら動けなくなっていた」んじゃない。

もう会社に行けない。そう自分で判断して、診断をもらいに行った。

ズルいと思う。今でも、少しそう思っている。でもあの時は、そうするしかなかった。

ところが、病院の予約が取れない。

精神科も心療内科も、初診の予約が埋まっている。何ヶ所か電話した。返ってくるのは「1ヶ月後になります」。

1ヶ月。もう会社に行けないと思っている人間に、1ヶ月は長すぎる。

やっとすぐ診てくれるところを見つけた。

その日は、娘の誕生日だった。俺は母に付き添ってもらって、病院へ向かった。

映画かなんかで観たことがあるような、少し不気味な精神病棟のようなところだった。

そこで、心理検査と問診を受けた。用紙に並んだ質問に答えていくと、気分の落ち込みの度合いが数字になって出てくる。自分の状態が、初めて目に見える形で目の前に置かれた。

「うつです。1年は治療が必要です」

不思議なもので、その瞬間は少しホッとした。「これで休める」と思えたから。

だけど、ここでじゃないと思った。

それでも、病院での診断を上司に報告すると、意外な言葉が返ってきた。

— 当時の上司

「休職するか、タイミングを見て家から近い職場へ異動するか、選んでいい」

会社は、ちゃんと対応してくれた。これは今でも感謝している。

そして俺は——休まず、異動を選んだ

「休職」という言葉が怖かった。休んだら戻れない気がした。キャリアに傷がつく気がした。何より恥ずかしいという気持ちが強かった。

当時の俺は、こういう判断を平気で間違えていた。

それと並行して、別のクリニックを探した。

今度は焦らず、自分に合うところを。そこに通いながら、薬をもらう日々が始まった。

同じ状況の人へ
最初の1軒で決めなくていい。病院は、自分に合うところを探していい。
この時期の話は、別記事にまとめました
診断の前後、俺は本当に多くの人に助けられている。
妻の「練習だよ」、先輩の「悪いのはあいつら」、後輩の「敬語使うなや」——
人に救われた記録。

自宅から近めの職場へ。でも、良くならない

8月、自宅から近めの職場へ「増員」という形で異動になった。ただの異動ではなく、わざわざ席を作ってくれた。会社の配慮だったと思う。

その上司は、他の組織から来ていた人だったのに、非常に親身だった。

— 当時の上司

「ゆっくり休んで、気持ちが落ち着いたら徐々にやっていこう」
「俺もそうだよ、わからないことはいくらでもある。信頼できる人に聞けばいいんだ」

一度つまずいてから、自分にまったく自信が持てなくなっていた。「信頼できる人に聞けばいい」と言われても、聞けなかった。ただ自分一人でもがいていた。


怖かったのは、仕事より「人の目」だった

年が明けて、春の異動情報が耳に入った。昔の職場で一緒だった人たちが、この職場に異動してくることになった。

普通なら「知り合いが来る、心強い」となるはずの話が、俺には恐怖だった。

花形部署は、たった4ヶ月しか持たなかった。そこを去った自分が、恥ずかしかった。情けなかった。昔、生意気だった頃の自分を知っている人に、今の自信のない自分を見られるのが怖かった。

電車に乗れなくなって、自腹で高速代を払って車通勤に変えた。それでも眠くて、朝や昼にデスクで寝てしまうこともあった。

限界は、とっくに過ぎていた。

あの頃、本気で考えていたことがある。

このまま辞めるかもしれない、と思っていた。いや、「かもしれない」じゃない。辞めようと思っていた。

この仕事を続けていけるイメージが、もう持てなかった。

ただ、いきなり辞めるという話でもない。辞めるにしても、まずは休むしかない。それくらい限界だった。

知識はあった。学長の動画で、休職や傷病手当金のことは頭に入っていた。制度があることは、知っていたのだ。


あの夜

ある夜、職場に上司と俺だけが残った。

ぽつりぽつりと、胸の内を話した。眠れないこと。車で来ていること。自信がないこと。

一番の不安は、自信のなさだった。

プライドはズタズタになっていた。俺なんて何もできない。この先もやれる気がしない。仕事も、人も、何もかもが怖かった。でもその根っこは全部、自信がないことだった。

上司は静かに聞いて、それから謝った。「異変には気づいていたのに、言えなかった」と。

そして言われた。

「休みなさい」

通っていたクリニックで、ようやく診断書をもらった。

最初に「うつです」と言われてから、8ヶ月。人に言われて、ようやく休めた。

自分では、決められなかった。ローンが、家族が、世間体が、と理由を並べて、壊れた車を運転し続けていた。

制度を知っていても、使う許可を自分に出せなかった。

あの夜の一言が、命綱だった。

あの夜、あの一言がなかったら、俺は辞めていたと思う。

同じ場所にいるあなたへ
もし今、眠れない夜を数えながら出勤しているなら。
休むのに、自分の許可はいらない。
誰かの「休みなさい」を、待たなくていい。
この記事が、その一言の代わりになれたら。
🍀
次回、「布団の中の5ヶ月間。」
休んだら休んだで、地獄はまだ続くのだった。でも、その先に光があった。
よかったら、またきてね。 — じゅや